初期仏教から大乗仏教へ


 ・お釈迦さまが入滅された後のインド仏教


 仏教という宗教は、”歴史的に見れば”、今から2500年ほど前の時代に、お釈迦さまによってインドで始まった宗教です。

浄土真宗で大切にされている「浄土三部経」も例に漏れず、インドにおいてお釈迦さまがお説きになった教えです。

これらのインドで始まった”教え”が、ちゃんとした”お経典”というカタチで、中国を経て、現代の日本にまで受け継がれているのは本当に”有難い”ことなんです。


 ・揺らぐ初期仏教教団


 仏教の教えが「お経」というカタチで私たちの時代に伝わっていることは有難い、と言うと多くの人は、宗教において教えを記録していくのは当然じゃないか、と思われるかもしれません。しかしそれは違います。お釈迦さまは”さとり”をひらかれて亡くなられるまで、自身の説いた教えを書物にしたり記録するという行為は一切しませんでした。

きっとそれは一人ひとりの性質に合わせ法を説く”対機説法”を、書物に残していると誤解や迷い、混乱を招くと考えられたのではないかと私は想像します。

しかし、お釈迦さまが入滅され(亡くなられ)た直後から、弟子の中で問題を起こす者がでてきます。

ある弟子の僧侶は、今まで厳しい修行をしていたのですが、お釈迦さまがいなくなった途端、教団の決まりを破りはじめ、さらには「もう大変な修行なんかやってられない!」と教団の輪を乱し始めるのです。今も昔も、組織の問題や人間の弱さは変わってないということですね。



 ・経典をつくり始める弟子達


 その時、お釈迦さまが亡くなられた後の教団を引っ張っていたリーダー格の長老マハーカーシャパは、このような事態を目の当たりにして、立ち上がります。

「教えを忘れてはいけないし、間違ったデタラメな教えが広まってもいけない!」

 その呼びかけに、各地に散らばって伝道活動をしていた大勢の優秀な弟子達が「そういうことならば早急に動かねば!」と、再び集まり、「第一結集(だいいちけつじゅう)」という集会を開き、”教え(教)”や”決まり(律)”などを再確認し合ったのです。

 ここで登場するのが”アーナンダ”という卓越した記憶力を持つ弟子僧侶です。

アーナンダはその持ち前の記憶力から、お釈迦さまの付き人に抜擢されていましたので、お釈迦さまの教えを誰よりも近くで、誰よりも正確に、誰よりも多く、聞き、記憶していました。

教えに関していえば、彼を中心として集会は進められていきます。

「第一結集」では、まずアーナンダが声を上げます。

 「私はこのように聞きました!」

と言ってから、彼は記憶しているお釈迦さまの教えを、集まった大勢の仲間に伝え、間違えや異論がなければ、その教え(お経)で間違いないと合意したり記録したりしていくという、気の遠くなる答え合わせのような作業を、ひたすら繰り返したのです。

この名残が今もお経の中に見ることができますよね。

例えば「阿弥陀経」のはじめに「にょ〜ぜ〜が〜もん」というのは、「私はこのように聞きました」(如是我聞)と言っているのです。

 


 ・根本分裂以降〜部派仏教時代


 こうしてアーナンダなどの優秀な弟子達の存在もあって、「結集」が無事終了します。しかし、当然ながら一回集会を開いたからといって、簡単に亡きお釈迦さまの穴が埋まるわけもなく、統制が元どうりになるハズがありませんよね。

 初期仏教教団はそれ以降も、何度も結集を行ったり、保守派と革新派に分裂したりを繰り返し、さらに拡大、発展していきます。当然それに伴い、お経や戒律もたくさん見直されていきます。


ちょっとここから、ザザーっと簡単に歴史的な流れを説明していきます。

難しい言葉がたくさん出てきますが、覚えなくて結構です、流れだけ見ていきましょう。


 お釈迦さまが入滅されると「仏教」はまず2つに分裂します。

これを「根本分裂」(紀元前3世紀〜)といい、

  保守的で厳格な「上座部仏教」(その後11部派に分離)と、

  革新的で寛大な「大衆部仏教」(その後 9部派に分離)とに分かれます。

  この時はまだ「宗派」とは言いません。「部派」の時代です。しかし、現代社会でもこんな派閥争いってよくありますよね。。。

 さて、合わせて20部派ものグループが出来上がるわけですが、皆、「我らこそお釈迦さまの教えの正当な継承者だ!!」と主張し合い、皆それぞれ、その教えをさらに深く深く追求していきました。この時代を「部派仏教時代」と呼びます。この枝分かれした部派はみんな別々なようでいて、実は全体に共通する特徴があります。

それは、「出家制」です。

 当時の仏教教団は、家や財産を捨て、家族を捨て、人生をすべて捧げて修行に励む、そんな「出家者」を中心に成り立っていたのです。このころの仏教のスタンダードは、部派による違いはあるにしても、「出家」して、絶えず修行を積むことでしか”さとり”に至ることができない=「出家」しないと救われない!というカタチでした。。。

ということは、「在家」=普通に仕事して普通に生活をしている人は、迷いの世界から救われていくことはできない、ということになってしまいます。またこの部派仏教は、お釈迦さまが生きた時代と違い、お布施としていただいたものだけで生活、修行するスタイルではなくなっていました。特に上座部系の部派は権力ある援護者、今でいうスポンサーがバックについていて、経済的にも豊かな教団になっていました。



 ・大乗仏教の起こり


 こういった時代に新たに動きだすのが「大乗仏教運動」です。(紀元前後)

「こんな時、お釈迦さまであれば”出家しないものは救われることはできない”と言うだろうか?出家者だけでなく在家信者も救われていく道はあるはず。。仏教はすべての者をさとりに導いていくべきものだ!」

部派仏教の中でも革新的で自由派であった大衆部の僧侶集団や在家信者集団を中心として、お釈迦さまの根本的な思想に立ち返って、他者の為を思う、いわゆる「利他行(りたぎょう)」を実践していくのです。反対に、自身の修行で自身が利益(りやく)を得ることを「自利(じり)」といいます。

「大乗仏教」というのは読んで字のごとく、”大きな乗り物”という意味です。

 大きな豪華客船を思い浮かべてください。豪華客船は操縦者だけでなくたくさんの人を乗せ、みんな一緒に目的地まで行けます。仏教でいえば自分もさとりを求めるとともに、他の人々もともに救われていこう、という例えです。これが大乗仏教のおおまかな考え方です。そして保守的で厳格派の上座部仏教を「小乗仏教」と呼び、大乗の集団はその違いを主張しました。

なお、現代では上座部仏教のことを「小乗仏教」という表現は差別的、攻撃的な意味合いを含むとして、使用を控えられる傾向があります。



 ・インドから中国へ


さて、この「大乗仏教運動」が始まると、お経の編集作業はさらに加速します。

「般若経」をはじめ、「華厳経」「涅槃経」「維摩経」「法華経」「浄土経典」などが続々と成立していきました。これら大量の経典群を「大乗経典群」と呼びます。

インドでお釈迦さまからスタートした仏教は、「大乗仏教」という形態になり、完成したお経とともにシルクロードを通って中国にもたらされます。

インドから伝わった膨大な数のお経は、中国でさらに翻訳作業がすすめられていきます

浄土三部経もその中に含まれていました。これらが中国で翻訳され、”お経”として成立した順番ですが、まず「大無量寿経」「阿弥陀経」が成立し、だいぶ後になって「観無量寿経」が成立したそうです。

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