「阿弥陀経」の解説


 「阿弥陀経」は浄土三部経の三つの中では一番親しみのあるお経かもしれません。それは「大経」「観経」に比べ、圧倒的に日常のお勤めに用いられることが多いことがその要因だと思います。私が浄土真宗の勉強を始めたばかりの頃、「大経」「観経」は読んだことがありませんでしたが、「阿弥陀経」だけは、学院の月一の法座でお勤めしていたので、かろうじて知っていました。おそらく、多くの人が同じ感覚なのではと思います。ちなみに阿弥陀経は「小経」とも言います。



 ・阿弥陀経はお釈迦さまが自ら語り始めた「無問自説の経(むもんじせつのきょう)」


阿弥陀経にはお浄土の美しい景色や、うるわしい荘厳、またそこに住んでいる仏さま、尊い聖衆たちの素晴らしい徳が細かくあらわされています。

そして、そのお浄土に生まれるためには、自力で善根を積む方法ではダメだと言われます。ではどうすれば生まれることができるのかというと、「一心に念仏すること」でこの阿弥陀さまのお浄土に生まれることができると説かれています。

さらに、東西南北、上方、下方のあらゆる方角におられる「六方の仏さま」たちが、お念仏によってのみお浄土に生まれることができるということを証明し、この「念仏の法」を褒め称えられ、念じ護っているといわれるのです。

本当に簡単に言うと、上記が「阿弥陀経」の内容です。基本的にお経は「お釈迦さまと弟子の誰か」の対話形式で説かれていることが多いのですが、この阿弥陀経は、弟子の質問を待たずに、お釈迦さまが自ら語り始めた教えであるということで、「無問自説の経」とも呼ばれています。



 ・「阿弥陀経」は「念仏一法」のみを説いた経


「大経」は阿弥陀さまの救いの願いであり誓いである「本願」が中心に説かれています。

「観経」には阿弥陀さまのお浄土を見たりしようとする様々な修行法(定散二善)と、お念仏の法が説かれていて、最後にお念仏の法がすすめられているお経です。

そしてこの「阿弥陀経」には、「お念仏によって阿弥陀さまのお浄土に生まれる」ということだけが説かれているのです。


 ・親鸞聖人の視点から見た「阿弥陀経」


親鸞聖人は浄土三部経を、二つの視点をもってみられました。「観経」と「阿弥陀経」には、ウラとオモテの意味があるからです。つまり、読んだそのままの意味と、そこに隠れているもう一つの意味があるのです。

「観経」についてはこちらを見ていただくとして、先ほども言ったように阿弥陀経は「念仏一法」を説いたお経です。

では、これを読んだままの「オモテの意味」で受け取ると、善根を積むという意味合いでお念仏を称える「自力の念仏」と見ることができます。しかし、浄土真宗は「自分で救われる」という教えではありません。あくまでも「阿弥陀さまに救われる」という「他力の法」であります。

親鸞聖人がみられたもう一つの視点はまさにこの「他力の法」です。

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