要門(第十九願)



 ・要門とは何か


 要門とはなんでしょう?”門”、というと何を連想しますか?ゲート。くぐり抜けるもの。通過するもの。入り口…そんなところでしょうか。

 要門(ようもん)とは、簡単に言えば、自力の修行でさとりを得ようとしている人、もしくは自力の修行や善で浄土に往生しようとしている人を、絶対他力の救いに導き入れるための入り口という意味です。

まずこの3パターンをみてください。


  ① 浄土に生まれることを願ってない人(聖道門)が、修行してさとりを開こうとする(自力)=自力聖道門

  ② 浄土に生まれることを願っている人(浄土門)が、聖道門と同じ善を修する(自力)=要門・定散二善・19願

  ③ 浄土に生まれることを願っている人(浄土門)が、阿弥陀さまのはたらきで浄土に生まれさせていただく(他力)=他力浄土門


このページで説明するのは、②のパターンです。

 どういうことかと言うと、「真実の宗教への道」で説明したように、仏道のさとりを得るためには、聖道門と浄土門という二つのルートがあります。その浄土門においてまず初めに見えてくるのがこの要門です。

要門は、四十八願の中の第十九願の内容とリンクしています。その十九願の意味は、万行諸善の因により雙樹林下往生(そうじゅりんげおうじょう)の果を得ようとするものです。

 よく勘違いしやすいのですが、要門と聖道門はよく似ていますが、ちょっと違います。上の3パターンをもう一度見てください。聖道門は、すべて自分自身の積み重ねた修行の功徳によってこの世でさとりを得ようとします。それに対し要門は、自分で積み重ねる善をして、阿弥陀さまの救いの力で浄土に往生し、そこで成仏しようとするものです。

 では、要門でちゃんと浄土に往生できるかというと、できません。なぜならこの要門の修行や善は、定散二善とよばれるもので、これは菩薩がする行であったり、悪を行わず善い行いを修することです。ということは、無意識に悪人である私たち凡夫には無理ということです。

 ですから、この要門では、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくことはできないのです。さらにこの要門ルートから往生すると「方便化土(ほうべんけど)」といわれる”仮の浄土”に生まれます。仮ですから、本物ではありません。本物のお浄土はあらゆるものが無限ですが、方便化土は有限の世界、限りのある世界とされます。

 また雙樹林下往生というのは、お釈迦さまが入滅された沙羅双樹下ということです。方便仮土では仏さまの寿命も有限であるため、仏さまが入滅するのを目にするそうです。それを、お釈迦さまの生きていた時代になぞらえ、雙樹林下往生と呼びます。

また要門は、「観経」に説かれている定散二善ともリンクしています

 これについて親鸞聖人は「このゆえに観経の往生と申すは、これみな方便化土の往生なり。これを雙樹林下往生と申すなり」(三経往生文類)といわれています。

 すなわち「要門=十九願=観経に説かれる定散二善(菩薩あるいは善い人間がおえる行)=雙樹林下往生=方便化土へ生まれる

 この要門は、聖道門から浄土門に導き入れる方便であり、浄土往生を願いながら定散二善をしている人を絶対他力のお念仏に導く門です。

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