第十八願の意味


「第十八願」というのは、法蔵菩薩が阿弥陀さまになられる前に誓った願いの一つです。

「私はこのようにして迷い苦しむものを救い、このようなお浄土へ生まれさせます」と願い誓った「四十八願」の中でも、もっとも重要な”願”であるとされるものです。

その内容は


【第十八願】……たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。 


というものです。


ここで注目していただきたいのですが、この「第十八願」には、「浄土に往生させますよー」とは誓われていないのです。

「浄土真宗」の教えといえば、「阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせてもらうもの」というふうに思いますよね。

しかし、実際の「第十八願」には、浄土に往生させると誓っているわけではないのです。

ではそもそも、「第十八願」とは、何を誓われている願いなのでしょうか。

上記の「第十八願」を見返して見ていただくとわかるのですが、いろいろなことが誓われていて、何が一番の目的として願われたことなのかわかりません。


そこで、親鸞聖人は、残りの他の47願の中に同じことが誓われている箇所があれば、それを除いていって、最終的に残った願い、つまり、消去法で削っていき、他の願には願われていないことが、この「第十八願」の一番重要な部分ですよと示されたのです。


 ・第十八願の根本的な願いを導き出す


 では意味合いが重複する願を消していきます。

まず、「たとひわれ仏を得たらんに」という部分です。

これは簡単にいえば、「仏になる」ということです。この「仏になる」ということに関して誓われた願いが、「第十二願」、「第十三願」にあります。ということは、これは「第十八願」の中心ではないということになりますので、これは除きます。


 次に、「十方衆生」ですが、これは「第十九願」、「第二十願」にもある言葉です。しかし、第十八願の意味合いとは実は異なります。

「第十九願」の”十方衆生”の意味合いは、”自力の聖道の修行のできるもの”という意味合いで、

「第二十願」の”十方衆生”の意味合いは、”念仏の称えることのできるもの”という意味合い、

「第十八願」の”十方衆生”は、”罪を犯してしまう生きとし生けるもの”という意味合いになります。

このように、同じ言葉であっても、それぞれ意味合いが違うので、「十方衆生」という言葉は、残します。



 「至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて」は、ざっくりあらわせば、阿弥陀さまのお浄土へ生まれるための”心持ち”であると言えます。すなわち”信心”を表しています。

「第十九願」には「至心発願して」

「第二十願」には「至心廻向して」

というように、よく似た言葉があります。

しかし、これらも先ほどと同様に、「至心信楽」の意味合いとは全く別物ですので、この部分も残しておきます。


 「乃至十念せん。」ですが、この意味合いとしましては、

「阿弥陀さまのはたらきを受けとったものの口から出てくださるお念仏」

という意味合いですが、そのはたらきの方向が二つあります。

一つは、人間(ご門徒、お同行)同士がお念仏することで、他人のお念仏が耳に入り、それが阿弥陀さまのはたらきを信じるきっかけとなって、結果、阿弥陀さまの信心をいただくというものです。

もう一つは、阿弥陀さま以外の仏様がたが、阿弥陀さまを褒め称える時のお念仏と、同じ意味があるとするものです。

「第十七願」に、他の仏がたが、「南無阿弥陀佛」をとなえ、阿弥陀さまを褒め称えるという誓いがあります。意味合いがカブるので、これは除きます。


 「もし生ぜずは」というのは、浄土に生まれるという「往生」を示し、さらにそれだけでなく、仏のさとりをひらく「成仏」の意味もあります。このことは、「第十一願」に誓われています。

「第十八願」に往生が誓われていると思いがちですが、実は、往生成仏を中心に誓っているのは、この「第十一願」です。

ということで、”往生成仏”ということは、「第十八願」の中心とは言えないので、これも除きます。



 ・そぎ落としてみて残った、「第十八願」の根本的な願い

 このように、他の47つの願いを確認していくと、おのずと「第十八願」は何を目的とした願いなのかが見えてきます。

 「十方衆生」

 「至心信楽」

 「五逆と誹謗正法とをば除く」(排除するという意味ではなく、抑止する意味。また、”そんなものをこそ救う”という意味合い)

の三つが、「第十八願」の根本的な願いなのです。

まとめますと、

 「罪を犯し、正しい教えに背をむけるような生きとし生けるすべてのものを、阿弥陀如来のはたらきを疑いなく受け取ることのできる、至心信楽の行者にしようと誓った願い」

となります。

ここに、「往生させる」という言葉はありません。

確かに、結果として阿弥陀さまのお浄土へ生まれることができるようには誓われているのですが、むしろその結果よりも、私たちが「疑いなく阿弥陀さまの救いのはたらきにおまかせするようになること」を、阿弥陀さまは望んでいるということです。

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