四十八願・三願のカテゴリー分け


 「四十八願(しじゅうはちがん)」とは、法蔵菩薩が阿弥陀如来さまになられる前に、「どんな仏になり、どんな浄土をつくり、どのような方法で人々を救いたいか」ということを願い、誓ったものです。

「四十八願」というだけに、48種類の願いを誓われています。

では、その「四十八願」はどのような願いなのでしょう?

その一つ一つを見ていってもいいのですが、ここでは、48の願いの大まかな分類と、最重要である第十八願、そして第十九願、第二十願を中心に解説していきます。



 ・四十八願の分類

まず、48種類の願いは、大きく3つのカテゴリーに分類することができます。


 ① 私はこのような仏になりたい、という内容の願い。(12、13、17願

 ② 私はこんな浄土を作り上げたい、という内容の願い。(31、32願)

 ③ 私はこのような方法で迷えるものたちを救いたい、という内容の願い。(残りの43願)


この③番の中でも特に、18、19、20願は重要です。

48種類のすべての願いが大切ではあるのですが、この3種類の願には、他の願にはない特別な願いが込められているのです。

それは、

「私が仏になるにあたり、あらゆる世界のすべての生きとし生けるものが〜〜〜ならなければ、私はさとりをひらきません。」

と誓われているのです。

特にこの「あらゆる世界のすべての生きとし生けるものが(十方衆生が)」という部分が大事で、この18、19、20願以外の願いには、このことが誓われていないのです。

すなわちこの3種類の願は、言って見れば、これから阿弥陀さまのお浄土に往生したいと願うもののための”願”であると言えるのです。この、「浄土に生まれるタネ(因)となる3つの願い」を、「生因三願(しょういんさんがん)」といいます。


 

 ・生因三願の内容

ここで第18、19、20願の内容を確認します。


 【第十八願】……たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。

 【第十九願】……たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終わるときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。

 【第二十願】……たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。


生きとし生けるものが阿弥陀さまのお浄土に生まれるタネである「因」を誓った3つの願いを、「生因三願」といいます。

この3つの願いには、

「どうやって浄土に生まれることができるのか」(行)

「どんな心持ちで浄土に生まれることを願うのか」(信)

「その結果、どうなるのか」(益)

ということが誓われています。色分けしたので、てらしあわせて見てください。


 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、この第18、19、20願を、お浄土へ往生するための別々の方法を示しているとされました。

それはどういったことなのか、詳しくは以下のページで解説しています。

 こちらも合わせてご覧下さい▶︎ 要門(第十九願) 真門(第二十願) 弘願(第十八願)


親鸞聖人によると、第18願、すなわち、阿弥陀さまの救いのはたらきである「南無阿弥陀佛」のお念仏を疑いなく受け取ることで浄土に生まれることができると誓われたこの願こそが、阿弥陀さまの真の目的、本意であったのだと言われます。

残りの第19、20願は何なのかというと、これらは、「阿弥陀さまの救いを疑いなく素直に受け取ること」のできない者のための、方便(ほうべん)の願とされるのです。

つまり、素直になれずに、自力の諸行や、自力の念仏をする者を、真実の救いに導き入れるために、阿弥陀さまが用意してくださった、巧妙なお手立ての誓いであるのです。

阿弥陀さまは、人間の素直になれないところ、自分本位な性格なんか、とっくの昔からお見通しであるということです。



 ・第十八願にだけ誓われている願い

また、第十八願にだけ、他の願には誓われていない言葉が入っているのです。

それは、

ただ五逆と誹謗正法とをば除く」

つまり、罪を犯したり、正しい仏法を踏みにじるようなものは、お浄土に生まれることはできません、と誓われています。

これは、一見、罪を犯し、仏法を踏みにじるものは阿弥陀さまの救いから除外しますよーと言ってるように受け取ってしまいますが、これは実は阿弥陀さまからの忠告であります。つまり、これらの行為がいかに重い罪であるのか、それらの行為をするべきではないと、抑止されているのです。


また、他の願には誓われていない「ただ五逆と誹謗正法とをば除く」という言葉が、なぜ第十八願にだけ、あえて加えられているのかというと、この願だけが、”五逆と誹謗正法”という罪を犯すものであっても、むしろそのもの達をこそ、阿弥陀さまは救いの対象とするという意味に他ならないからです。

スポンサード リンク