他力は補助的な力ではない



「南無阿弥陀佛」のお念仏で、お浄土へ往生させていただくことについて、「自分の力が足りないから、仏様の力を借りて往生する」という捉え方は、間違っています。

 私の「自力」では力が弱いから、阿弥陀さまの強い力でお浄土に往生させてもらうのだ、という意味合いで「他力」という言葉を使われている方が多いように思います。

あるいは、「自力」の修行ができるような私ではないから、阿弥陀さまの力によって往生させてもらうというのも違います。

 ではどういうことかというと、そういった人間の心持ちや、修行ではダメだから、阿弥陀さまが見るに見かねて呼んでくださる救いの声が、「他力」なのです。


 あなたが船で海外旅行に行くとします。

客船(大きな船)を思い浮かべてください。たくさん人が乗ることが出来ますし、何もしないでも目的地に着きます。これが「他力」です。

一方、あなたの友達も別の目的地に旅行にいきます。その友達は時間はかかりますが、陸上ルートを走って目的地に行く手段をとりました。これが「自力」です。

まったくものがらが違うのです。「他力」の船に乗っていながら「自力」が足りるかどうかを考えるのは、目的地に向かう大きな客船の上で、どう走ったら目的地に着くかを考えているようなものです。

「他力」の船の上では、考える必要がないから、「自力」を捨てよというのです。

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