法事は「先祖供養」ではないということ


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 法事といえば、「四十九日」や「〜回忌」などのことを言います。これらは、「親戚が集まり、お坊さんを呼んで、ありがたいお経をあげてもらって、おときを一緒に食べる」そんな流れが一般的です。

しかし、この「法事」は何のために行われているのでしょうか。

よく耳にするのが「追善供養」という言葉です。

調べますと

 「追善供養」…生きている人が亡くなった人に対して行う供養。冥福を祈って供養すること。

つまり、現世で行う善いこととされる「読経」や、寺院への奉仕活動することで、亡くなった人にパワーを送る、自分も幸福になる…そんなイメージでしょうか。


しかし、これは浄土真宗の観点から言いますと、間違っています。


「浄土真宗では亡くなるとすぐお浄土に生まれるため…」という説明がよくされていますので、このページではもう少し深く説明したいと思います。


まず、「阿弥陀経」というお経の中で、お釈迦様は弟子の舎利弗(しゃりほつ)に、36回も呼びかけられています。

これは、私たちに対して、「阿弥陀さまのみもとへ(お浄土へ)一緒に帰らせていただきましょうね」というお釈迦さまの呼びかけであるとされています。


親鸞聖人はこのことについて、阿弥陀さまが直々に

「あなたが帰ってくる場所は私の浄土しかないのです。南無阿弥陀佛の船に乗って、まっすぐ帰ってきなさいよ」

という呼びかけであると言われています。もっと表現を変えていうと、

「法を聴いてくれよ、法を聴いてくれよ」

と呼びかけて下さっています。


その阿弥陀さまの呼びかけに気づいたお釈迦さまが説かれたのが、浄土真宗の根本的なお経である「浄土三部経」であり、その「浄土三部経」は、阿弥陀さまからの呼びかけであると示されたのが、「七高僧」さまがたです。


ご先祖の方々は、阿弥陀さまのお浄土に生まれたのです。つまりお浄土に帰られて、阿弥陀さまと同じさとりをひらかれた存在なのです。

これはすなわち、ご先祖の方々は、阿弥陀さまと同じように、今この私たちに「法を聴いてくれよ、法を聴いてくれよ」と呼びかけて下さっているのです。


「先祖供養」という私たちが何か良いと思ってしていることは実は意味がなく、逆に私たちが、仏となったご先祖の方々から「救われてくれよ」と願われているのです。


そのことに気づかせていただき、日々起こるあらゆることに対してお聴聞させて頂くということが「供養」よりも大事なのではないかと思います。

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