科学でなく、道徳でもなく、倫理でもなく、「情」で生きている私


科学の進歩は止まるところを知りません。

人体の神秘も、年々解明されてきています。多くの人はこの科学至上主義とも言える高度に発展した時代に生きていてます。しかし、だからと言って、私たちの意思や感情までもが、洗練された科学技術のように発展しているでしょうか。

いうまでもなく、答えはNOです。

好き、嫌い、嬉しい、悲しい、つらい、憎い。昔も今も、様々な感情に右往左往しながら生きているのが、私たち人間です。六道輪廻の世界を生まれては死んでを繰り返しながら、罪ばかり重ねて右往左往しているのが私たちです。これが仏教の世界観です。科学の世界観とは根本的に違うので、仏教の世界観を「空想」とバカにします。

しかし、そんな科学の世界が大好きな人でも、大切な人が死んだら、やはり科学的に理解して受け入れるのでしょうか。

科学的には人間は死ぬもの。だから泣いてはいけません。死体はどうしますか?科学的にはまだ新鮮な動物性のタンパク質です。ビタミンもミネラルも脂肪分もあります。火葬?もったいないですね。科学的に見てもまだたくさんの栄養価があるから、摂取した方が合理的ですね。親族で食べきれないなら小分けにして冷凍保存がオススメです。葬式も火葬も、あなたがバカにしていた世界観の産物ですよ。する必要ありますか?うん、やらないでもいいでしょう。


本当に、「宗教」は必要ないのでしょうか。

最近は、お坊さんの存在意義が疑問視されています。いや、これも昔からあるのでしょうが、「法事なんかする必要があるのか」「お寺へ寄付なんか誰がするか」という声を聞いたことがあるというのは、お坊さんあるあるなのではないでしょうか。まあそこには、「僧侶」という立場を利用して、汚い商売をしている輩が目立つから、「僧侶=金に汚い」という風に見られているのかなぁとも思いますが。

私は、法事もしたくなければしなければいい、寄付もしたくなければ、しなければいいと思っています。私自身、仏法に背を向けているような生き方しかできていませんので、無理は言えません。しかし、そのような私を包み込み、温かく見守ってくださっているのが阿弥陀様です。阿弥陀様は「科学」や「常識」で私たちが認識できない存在です。ですが、だからこそありがたいんです。情に振り回されて生きているような私を、ゆっくり見守ってくださっています。

私たちは「科学」で生きているわけではありません。

大切な人が死ねば、涙が出るのが人間なのです。その情に流されるものを、なんとか救おうとしているのが阿弥陀様です。これが宗教の世界観です。


また世の中には、何かにつけて正論を並べたがる人が一定数いらっしゃいます。また「人としてどうなんだ」と、道徳・倫理的な論理を振りかざして他人を批判したがる人もいます。はっきり言ってうんざりしますが、実際そういう人が多いのです。学校の先生にも、会社の上司にも、政治家の中にも、ご近所さんにも、必ず一定数いらっしゃいます。

そのため、世間的には「道徳が大事、社会正義が大事」という変な空気感が蔓延しています。世界的に見ても、日本は特にそう言った空気感があります。


しかし、その道徳や倫理が通用しない時が私たちにはあります。それが「死」です。


「阿弥陀さまのお浄土へ、必ず参らせていただけるのだ」

その心に疑いなく、完全におまかせすることができた時、私たち人間の世界で起こる様々な苦悩や問題は、大したことではなかったと気づくことができるのです。

そこには道徳や倫理を挟むことはできません。

必ず救うと言ってくださる仏さまがいる。

そのことを信じ、信じさせられるのが真宗であり、真実の宗教の姿なのです。



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