お念仏は「温泉」のようなもの


 

 人は生きて行くうちにいろいろなものを自分自身に重ねていきます。それは知識だったり、経験だったり、大人のルールや、世間の常識だったりします。まるで服を重ね着するように、どんどん塗り重ねていきます。それは望んでいようが望んでいまいが、知らず知らず塗り重ねられて、もとの自分がわからなくなります。そうなると、塗り重ねた自分が「本当の自分」だと思うようになってしまい、既成概念で人と比較したり、勝負したりしてしまうようになります。


多くの人はそれを「人生経験」といい、「大人になる」といいますが、それは「良いこと」と言えるでしょうか。もしかしたらそれは一方的な価値観でしかなくて、実は「病気」かもしれません。

こんな風に「社会の常識」に疑問を感じたり、心の不調を感じた時は、温泉につかりましょう。



 ・お念仏の温泉


温泉に入るには服を脱がないといけません。裸になることが大事です。裸になってお湯につかれば、みんな一緒ですね。誰も着ていない「服の差」で人を判断できませんし、比較もできなければ批判もできません。また温泉に入ろうとする事で、いかに服を重ね着していたかがわかります。服を脱ぐ事で、「相手が悪い」と思っていた事が、自分の心の偏りが生んだ事だったと気づく事もあります。

温泉には効用があるので、その効果で、ゆっくりつかれば少しずつ体も温まり、元気になってきます。お湯の成分を調べて、その効き目を知って、その温泉の良さをより深く知るのもいいでしょうし、別に知らなくたって、温泉の成分が勝手にあなたを温め、癒してくれます。



お念仏を申すという事も、これと一緒だと思います。

温泉は外に立っていても温まる事はできませんし、効き目を感じることができません。お念仏も、阿弥陀さまが私たちのために準備してくださったものです。

まずはお念仏を申すことが大切です。効き目が最初はわからないものです。しかし、だからと言ってお念仏を申さなければ、そのありがたさはずっとわからないまんまですよ。

最初から、心から尊いお念仏申すような私はいるわけありません。そんな心が清らかな私はいません。心が汚く、愚かものだからこそ、お念仏を申させていただいて、お念仏申す身に仕上げていただくのです。


それは、私の体から温泉の成分が出ないのと一緒です。まずは温泉に浸かることで、温められ、効能が身体に染み入ってくださるのです。お念仏申すことが、大切です。そうすれば、阿弥陀さまのあたたかさを感じる時が、すぐにきますよ。苦悩の多い人ほど必ず救われます。

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