親鸞聖人の誕生


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 親鸞聖人は平安末の激しい動乱の時代にお生まれになられました。

このころの日本は、貴族政治から武家政治への転換期であり、源平合戦の末、平家の滅亡、源氏の台頭した時代です。


父は下級公家の日野有範(ありのり)、母は源氏の血を引く吉光女(きっこうにょ)であったとされています。

親鸞聖人は、幼くして父と生き別れ、母とは死別されたと伝えられています。いわば、人生の出発点からすでに、重い荷物を背負っていたとも言えます。


これは何も親鸞聖人に限った話ではありません。

私たちはこの人間の世界に生まれてきた瞬間から、たくさんのものを背負っています。それは男女の性別であったり、容姿や身体能力、国籍、時代、家庭環境など、言って見れば、その後の人生を決定してしまうような、大部分の要素が勝手に決められた状態で、私たちは何もわからずに、この世界に生まれてきます。世の中を見渡してみても、まったくの白紙の状態で生まれてくる人などいないでしょう。

「もっと男前で背が高く、金持ちの家に生まれたかった…」と、私自身も学生時代には何度も思いました。

多くの人は、とにかく言い訳の天才です。

人生における様々な不都合な出来事を、人のせいにしたり、時代のせいにしたり、とにかく他人に責任転嫁してしまうのが私たちです。しかし、どんなに不幸な境遇であっても、「それは全部自分の責任だ」と受け入れていかなければ、「真実の人生」を歩むことはできません。

親鸞聖人が尊敬されていた中国の善導大師(ぜんどうだいし)は


 「この世に誕生したのは、まずなによりも自分で生まれようとする意志(業識)が一番の原因であり、父・母をはじめとするすべての環境は、それを整える条件(外縁)である。」


と言われました。

また、つらい環境に身を置くことになって、「これは運命だから仕方がない」と割り切ったり、「これは神様からの試練だから」と自分に言い聞かせる場合もあるでしょう。

しかし、もっと根本的な部分で、自分の責任であると受け入れなければいけません。どんなに辛く悲しく、受け入れ難いことがあったとしても、そこから目を背けず、「すべては自分が望んで注文した、自分の人生なのだ」と、しっかり背負うことが、一番大切な心構えだということを、仏教は教えてくれます。


親鸞聖人がどんな幼少期を過ごしたのかは、定かではありません。

しかし、当時は大規模な飢饉・疫病のために、都には死人が溢れかえっていたと言われています。人々はその悲しみや苦しみに必死に耐えながら、それこそ、その日一日を生きることに精一杯だったことでしょう。

親鸞聖人はそのような時代に幼少期を過ごされ、このような悲惨な世界をまのあたりにされて、「生きる」とはどういうことなのだろうと考えられたのではないでしょうか。

しかし、そのことに悲しみ嘆くばかりではなく、生きづらい世の中に生まれたことをしっかりと受け止め、むしろそのことをご自身の人生の課題とされたのではないかと思います。


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