親鸞聖人の生涯(結婚)


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仏さまの教えが、出家という限られた生き方をすることでしか適用されない教えであるならば、それは「真実の教え」ということにはならないでしょう。むしろ、親子や夫婦の家庭生活の中にある苦しみや悲しみ、そして喜びの中にあってこそ「真実の仏教」と言えるのではないでしょうか。


親鸞聖人は29歳の時に、先に法然聖人の門下に入られていた恵信尼(えしんに)という方と出会われ、のちに結婚されました。恵信尼さまのお手紙の中には、親鸞聖人が初めて法然聖人を尋ねられた時の様子も書かれていることから、その時その場にいたのではないかと言われています。親鸞聖人の真剣に教えを求める姿に、だんだんと心惹かれていったのではないかと思われます。


親鸞聖人と聞いて、多くの人は「僧侶で公に結婚した人」という意識がおありかと思います。

たまに「親鸞が仏教をダメなものにした」と本気で言っている残念な方もいらっしゃいますが、それは間違いです。確かに、親鸞聖人が生きられた時代は、僧侶が公然と結婚して家庭を持つことは考えられないことでした。なぜなら家庭というものは仏道修行の妨げにしかならないと考えられていたためです。そのため、いまだに「浄土真宗は汚れた仏教だ」などと批判する声があるのです。

よくあるのは「性に執着するのではないか」という意見です。逆に聞いてみたいのですが、結婚しないことがその執着の心から離れることとイコールになるのでしょうか?むしろ、いろんな異性に目移りして、余計に盛んになる気がしますし、結婚することで、余計な執着の心からは離れることができるように思います。

またお釈迦さまは異性との関係について戒律を設けていましたが、これは、あくまでも「執着を離れる」ことが重要で、異性との関係そのものを否定されていることとは違います。さとりを開くためには、なるべく心を乱すものは避けたほうが良いですよというお心かと思います。


親鸞聖人の師である法然聖人は、結婚とお念仏の仏道の関係について、


 「独身で念仏申しにくければ妻帯すべし。妻帯して申されにくければ独身にて申さるべし」


と言われ、各自の状況に合わせて念仏生活を送ることを、日頃から勧められていたようです。

結婚がいいとかダメとか、そういう物差しではなく、「お念仏ができる環境」であるかどうか、のことの方がよほど重要なことであることに気をつけなければいけません。仏教の目的は「肉食妻帯しないこと」ではなく、あくまでも「仏になること」だからです。結婚を許可するというよりも、お念仏の生活がしやすいのであれば、結婚するのもいいでしょうという立場です。


当時の仏教の一般的なイメージは、家庭を捨てて出家するというものでした。しかし、親鸞聖人は比叡山でご修行されていた時から、仏さまの救いは「出家しないと仏道を歩めないし救われない」という条件付きの救いなのかという疑念はあったでしょうし、それが法然聖人と出遇われることで、その問題は解決したのだと思います。

親鸞聖人にとって、家庭を持ち、苦しみ悲しみ、喜びの人間関係を生きる日常生活こそが、仏教を学ぶ場であると見出されたのです。山にこもって、聖者として仏教の知識をいくら知ったところで、それは本当に人間を救う教えにはならないということを、20年の修行を通して確信されたのではないでしょうか。


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