親鸞聖人の生涯(出家)



 親鸞聖人が仏道に入られたのは、9歳の時であると言われています。

1181年(養和元年)に、青蓮院・慈円という方のもと、出家・得度をされ、比叡山に登られ、天台宗の僧侶となられました。

なぜ9歳という若さで出家されたのでしょうか。親鸞聖人がご自身の著者の中で、出家の理由について語られることはなく、その真相ははっきりしていません。


しかし、親鸞聖人が得度(僧侶となるための儀式)の際に詠んだと言われる有名な歌があります。


 「明日ありと思う心のあだ桜、夜半の嵐の吹かぬものかは」

 (咲きほこる桜の花も、たった一夜の嵐によって散り去ってしまうように、人の命も、明日が必ずあるとはわからない)


この歌にあるように、幼い親鸞聖人は、世の中の「無常」を深く感じ取るような少年であったと伝えられています。

しかし、それが仏道に入った本当の理由かは、誰にもわかりません。このような言い伝えはだいたい美化されたり、誇張されたりすることが多いからです。また、たった9歳の子どもが、たとえ優秀であったとしても、この歌を詠んで仏門に入ったというのはなかなか信じ難くもあります。

もう一つ、有力な説があります。

それは、幼くして父と生き別れ、母と死別した親鸞聖人は、官職での将来の出世は難しいと判断され、生き延びていく一つの手段として出家し、僧侶になったとする説です。

実際、当時の貴族たちの間では、このような事例がよくあったそうです。


親鸞聖人が自ら志願して僧侶となる道を選ばれたのか、それとも、やむにやまれぬ事情があっての選択だったのかは、私たちにはわかるすべがありません。

しかしどちらにしても、その時「厳しい世の事情」を体感されていたのは事実でしょうし、「思うようにならない人生」を幼くして感じられていたことに間違い無いでしょう。結局のところ、「自分の意思や思いの通りにならない状況」の中、親鸞聖人が出家し、仏教の道を歩まれ初めたことに変わりはありません。


私たちの生きる世界も同じです。

自分の生まれた環境に100%満足し、思った通りに今まで生きて来れた人なんてどれくらいいるのでしょうか。自分の希望通りの進学先に入学し、何のコンプレックスもなく、思った通りの仕事につき、挫折も味合わず、幸せな家庭を築き、不安も何も無い人なんて、ほぼ皆無のはずです。

人生というのは、思った通りに生きれないからこそ、「本当の人生の姿」であると仏教は教えます。また、何でもかんでも思った通りに行くことが”幸せ”とも限りません。なぜなら「何でも手に入ってしまう虚しさ」という不満すら生まれてくるのが私たち人間だからです。

人は思い通りにならないと苦しみ不満が募ります。しかし思い通りに行ったところで何の悩みもないかというと、そんな単純なものでもありません。


思い通りにならない人生だからこそ、悩み、苦しみ、悲しむその道中で、「確かなもの・真実の存在」に出会うこと・気づかされることができると言えます。


親鸞聖人の出家の理由の本当のところは誰にもわかりませんが、思い通りにならず、幼くして「世の無常」に苦しみ悩んだことは事実でしょうし、むしろネガティブなスタートであったからこそ、その後の親鸞聖人の仏法を深く求める姿勢に影響していることは疑いようもありません。早くにご両親との縁を失い、貴族としての出世の将来も絶たれたからこそ、より強く「人生とは何か」「人はどうして生きるのか」「人が真に救われる道はないのか」という課題に、徹底的に取り組まれたのではないでしょうか。


私たちは日常の虚しさ、不安やいら立ち、悩みといったものを常に抱えながら生きています。できれば思い通りに生きたいし、楽して人生を歩みたいなと考えてしまいます。まして「仏法を学ぼう!」という心は本来ありません。

しかし思い通りにならない苦しみや悲しみの「縁」が私たちを「仏教」に遇わせてくれるのです。

親鸞聖人が自ら無常を感じ出家されたにせよ、社会の厳しい状況から仕方なく仏道に入られたにせよ、どちらにしても、様々な「思い通りにならない事情」が、仏法とめぐりあうきっかけとなり、深く徹底した求道のタネとなられたのでしょう。

スポンサード リンク