親鸞聖人の生涯(親子の縁を断つ)


 親鸞聖人には6人のお子さんがいらっしゃいました。

親鸞聖人が30歳の時のこどもである長男、善鸞(ぜんらん)は、のちに、浄土真宗の教えを曲解して広めてしまい、父から親子の縁を絶たれてしまいます。


普通に考えれば、浄土真宗の教えを譲り受け、引き継いでいく立場であった善鸞は、親鸞聖人が83歳の時、義絶されてしまいます。それは、親鸞聖人の人生の中でもとりわけ辛く悲しい出来事だったはずです。



 ・関東門弟の混乱


親鸞聖人が関東での布教活動を終え、京都に戻られてしばらくたった頃です。

その頃、関東の門弟たちは鎌倉幕府や関東地方の権力者たちによって、「念仏弾圧」を受けていました。さらに、日蓮上人からの念仏批判なども相次ぎ、念仏者の中で動揺や混乱が起きていたのです。門弟たちはこのような混乱の中、親鸞聖人に「どうかお力添えをしてほしい」と協力を求める手紙を出されました。

関東で起こっている混乱を知った親鸞聖人はすぐにでも現地に向けて出発したかったのでしょうが、親鸞聖人は当時の超高齢者であり、とても京都から関東までの旅ができる体力はありませんでした。そこで、息子である善鸞に白羽の矢が立ったのです。念仏者の混乱を収めるため、善鸞が親鸞聖人の代役として関東に派遣されることになったのです。

当然、息子善鸞は、父からの信頼され、責任ある仕事を任されたと重く受け止めます。そのため、大きな使命感を持って関東に向けて旅立ったのです。



 ・過ちをおかす善鸞


その頃、関東の念仏弾圧はさらに激しさを増していました。

関東の権力者たちは、ある「口実」を見つけて弾圧を進めていたのです

例えば、「自らが悪人であることに目覚めてこそ、阿弥陀さまに救われる」というものや、「悪事をしても、阿弥陀さまの救いの妨げにはならない」と言うものがいました。これらの誤解はさらにエスカレートし「救われるためにはすすんで悪事をしよう」とするものが現れ、社会の秩序を乱す。そのような念仏者を横行させてはならない、という理由で、弾圧はおし進められていました。このような弾圧が続いたため、門弟たちは信じてきた教えに自信が持てなくなり、混乱・動揺が始まっていたのです。


悪いことをいくらしても救われるのだからと開き直ることを「造悪無碍(ぞうあくむげ)」といいます。これは言うまでもなく、親鸞聖人の正しい教えではありません。

しかし、現地に到着した善鸞は、この混乱をおさめるのにかなり苦戦したのでしょう。関東の門弟たちは親鸞聖人ご本人に対しては尊崇の対象として見られていたのでしょうが、派遣された息子善鸞に対して従おうとしない門弟も少なからずいたと思われます。

次第に善鸞は「造悪無碍」を激しく批判するようになります。そしてそれだけに留まらず、「やはり善行に励まなければ救われない」という「賢善精進(けんぜんしょうじん)」という考えに傾いていってしまったのです。

しかし、この「賢善精進」の考えは「阿弥陀さまの救いの光に照らされれば照らされるほど、我が身の悪の部分がはっきりしてくる」という親鸞聖人の教えを根本的に否定することになります。しかし、善鸞はそうするしかできませんでした。

こうして混乱の火に油を注いでしまった善鸞は、おさまらない動揺に対し自分の「親鸞の息子」という立場をも振りかざすようになります。「賢善精進」は親鸞聖人の教えと対極にあるものだと主張する、正しい念仏者をも、善鸞は押し付けようとしてしまうようになります。

善鸞はすでに、完全に我を見失っていました。もともと混乱をおさめるために関東に来たはずでした。しかし、いつの間にか自分の主張に従わせることが重要課題にすり替わってしまったのです。そしてついには、念仏を弾圧している権力者側と手を組み、これを利用して関東に自分の教団をつくろうとまで企てるのです。



 ・親鸞聖人の悲しみ


 この状況を知った親鸞聖人は、お念仏の教えが捻じ曲げられ、教団が崩れていくことを悲しみ、善鸞を義絶されたのです。

しかし、親子の縁は、絶ったからそれでおしまい、というわけにはいきません。親鸞聖人は父として、我が子の罪を自らの罪と受け止め、命終わるまで背負いつづけられたのです。


 (九四)「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし

      虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」


 (九五)「外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ

      貪瞋邪義おほきゆゑ 奸詐ももはし身にみてり」


 (九六)「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり

      修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞ名付けたる」


これらはすべて、この事件後に親鸞聖人がつくられたといわれる『悲嘆述懐和讃』という詩です。



善鸞が関東に派遣され、そこで主張した「賢善精進」というのは、実際には「賢く善を行いつとめているように見せかけているだけ」の行為です。多くの人は、賢い存在と悪い存在がいれば、「賢い」方を選ぶでしょう。そのため人間の「本質」が見えません。人間は煩悩を抱える存在です。「賢善」と言っても、真実の「賢善」を行える人間はいません。そう考えると、「賢く善い行い」も、自らの真の姿を隠そうとする毒の混ざった善、「雑毒の善」になるのです。

善鸞は父の信頼を大きな「使命」と受け止め、関東に赴きました。「使命感」は能力以上の力を呼び覚ますこともありますが、一方で、反省をしない「独善的な姿勢」を生みかねません。善鸞は自分を省みることを忘れ、さらに「親鸞の息子」という武器をふりかざし、権力に溺れてしまったのです。


人間はどこまでも怒りや欲の心に満ちた存在です。仏さまのような清らかな心は持ち得ないのです。そのことを忘れてはいけません。

親鸞聖人はこの事件の悲しみをとおして、さらに深く阿弥陀さまの本願の世界を確かめられたことでしょう。

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