親鸞聖人の生涯(帰京)

 

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 親鸞聖人は60歳すぎまで、関東において熱心な教化活動を20年間おこなっていました。その長く濃密な教化活動によって門弟の数も増え、それと同じくお念仏の教えも関東地方に広がり、根付いておました。

しかし、親鸞聖人は60〜65歳ごろ、それまで長く生活し、住み慣れていた関東地方を離れ、京都に向かいます。


当時の平均寿命は50歳前後だったと思われます。親鸞聖人は60歳を過ぎて、関東から京都を目指し旅をされたのです。

関東におられた時の親鸞聖人は、今までひたすら苦労つづきだった人生がようやく安定し、充実した時期でした。なぜなら、あたたかい家庭があり、多くの門弟に慕われ経済的にも安定し、そして生涯通して味わってきた「お念仏の教え」を、ともに歩む仲間がたくさんいたからです。老後において、これらの条件がそろっている環境に生きる人は珍しいとも言えます。

しかし、親鸞聖人は苦難の末ようやく手に入れたその環境を捨てて、流罪で離れて30年間、一度も帰っていなかった京都に戻ることを決心したのです。京都での暮らしに不安がなかったはずはありません。

多くの人は変化を恐れます。それは「新しい環境に移る」ということとも同じです。しかも親鸞聖人は当時の平均寿命をとうに超えていたのです。当然、体の自由もきかなくなっていたでしょうし、普通なら現状に身をうずめる方がよっぽど楽です。ではなぜ親鸞聖人は京都へ帰るという選択をしたのでしょう。



 ・なぜそうまでして京都に戻ったのか。


その理由としては、「弟子一人ももたず」と言われていた親鸞聖人でしたが、いつの間にか熱心な門弟に囲まれ、望んでいなかった「神格化」が進んだことが要因と言われています。また、鎌倉幕府による関東での「念仏弾圧」が激しくなったことも関係しているとも伝えられています。

しかし、親鸞聖人が京都に帰ってからの行動を見ると、その最大の理由は「著述」つまり、浄土真宗の教義について本を書くことでした。

浄土真宗の教えの要である「教行証文類」の完成や、その他の数え切れないほどの著作のためには、根拠となる書物が大量に必要でした。しかし、関東の地にはそれらの書物はなかったのです。また、現代のように印刷技術や通信技術のなかった当時は、文化の中心地である京都と、地方の関東では、情報の伝達があまりにも遅れていたためとも言われます。さらに、親鸞聖人はお念仏の教えを後世に正しく伝えるため、後々の世にまで通用するものを制作しようとされたため、関東と京都の文化の進み具合の差を確かめる必要があったという見方もあります。

そのため、親鸞聖人は京都に帰ってから、著作、推敲を重ね、たくさんの書物を残されたのです。これらのお仕事がなされていなかったら、正しいお念仏の教えは親鸞聖人が説かれた教えとは違うものになっていたでしょう。そして「浄土真宗」はなくなっていたかもしれません。

そう考えると、親鸞聖人がなぜ20年間住み慣れた関東を離れ、京都に戻ったのかが少しだけ理解できます。もちろん私たちが知る由も無い別の理由があったのかもしれません。しかし、親鸞聖人が命がけで帰京しのこされた著述があるおかげで、今に生きる私たちは「浄土真宗」の真髄を、親鸞聖人に聞くことができるのです。

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