浄土真宗は、親鸞聖人が開いた宗教ではない。



 「浄土真宗」という日本の仏教宗派は、誰が開祖でしょうか?と問われれば、まちがいなく「親鸞聖人が開祖だ」との答えが返ってくるでしょう。

もちろん、一般的にはそれが正解なのですが、浄土真宗をもう一歩踏み込んで学ぼうとするとき、「親鸞聖人が浄土真宗をつくった」という答えは、不正解となります。

これはどういうことなのでしょう。


親鸞聖人はご自身の著作「顕浄土真実教行証文類」の中で、

  「謹んで浄土真宗を按ずるに」(教巻)

と言われています。浄土真宗を親鸞聖人ご自身がつくりあげたという自覚があるのなら、「つつしんで」とか「あんずるに」とは言われないはずです。

「謹んで浄土真宗を按ずるに」と言われたのは、浄土真宗が親鸞聖人がつくったものではないからです。

では浄土真宗は何かというと、「選択本願是れなり」です。

すなわち、阿弥陀如来さまの第十八願の救いの願い・誓いこそが「浄土真宗」であると言えるのです。

言ってみれば、”阿弥陀さまのはたらき”こそが浄土真宗であるので、親鸞聖人は「謹んで浄土真宗を按ずるに」、つまり、「浄土真宗」とは、こういうものですよと、お示しくださっているのです。

浄土真宗は親鸞聖人がつくったものではないからこそ、「ありがたい」ものであるということなのです。



 ・人間が説いた教えではなく、「仏さまが説いた教え」ということが重要


 仏教はお釈迦さまが説いた教えでありますが、これが、お釈迦さまという一人の”人間”が説いた話なら、それはありがたくもなんともありません。

 なぜ仏教がありがたいのかというと、それはお釈迦さまという人間がすごいのではなく、「仏のさとりをひらかれた方」の教えであるからこそ、「ありがたい」のです。

「仏」という字は、旧字で書くと、「佛」となります。「人」を表すにんべんに、「非ず」という否定を組み合わせたこの字は、「人ではない」、つまり「ほとけ」とは「人間」ではないのです。仏のさとりを得て、人間が見ることのできない世界を見ることができるようになったお方が、「さとりの世界とはこんな世界ですよ」と示してくれている教えだから、仏教はありがたいのです。


 先の話もこれと同じです。

浄土真宗は「阿弥陀如来」という仏さまの救いのはたらきを、七高僧がた、そして親鸞聖人が教えてくださっている、ということです。

親鸞聖人自身も、私が言ったことだから尊いのだ、という受け取り方はするなとおっしゃっています。


「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもてむなしかるべからずそうろうか。」(歎異鈔)

 ……(生きとし生けるものを必ず救う阿弥陀さまの願いが本当ならば、お釈迦さまの説いた教えも嘘ではないということです。お釈迦さまの教えが嘘でないのなら、善導大師の解釈も、偽りではないということです。善導大師の解釈が本当ならば、私の師匠である法然聖人のおっしゃったことも、嘘ではなくなります。法然聖人のおっしゃったことが本当ならば、この親鸞の言っていることも、根拠がないことではないはずです。)


「私が言ったことだからつべこべ言わずに信じろ」というのとは正反対で、あくまでも阿弥陀さまの救いのはたらきで救われるのが浄土真宗というスタンスであるからこそ、親鸞聖人は「謹んで浄土真宗を按ずるに」という表現をしたのです。

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