「浄土論」の概要


 「浄土論」は天親菩薩の著書です。意外とページ数の少ない書物ですが、非常に内容は深いです。

正式名称は無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ)と言います。

「無量寿経」と題名についていますが、「大無量寿経」を指しているのか、「浄土三部経」を指しているのか、それ以外のお経典を指しているのかは、定かではありません。

しかし、この「浄土論」の内容を考えると、おそらく「無量寿仏」、すなわち「阿弥陀仏」やその浄土を説いたお経典のことを指しているのだろうと考えられています。

「優婆提舎(うばだいしゃ)」というのは、「あらゆる人に理解されるようにわかりやすく説明された論議」という意味です。

「願生偈」とは、「安楽浄土へ生まれたいと願う歌や詩」という意味です。




「浄土論」の内容はどんなものかというと、

「天親菩薩自身が阿弥陀如来さまに一心に帰命し、お浄土への往生・成仏を願う意思表明の”詩”と、その詩に表されている”阿弥陀さまの他力のはたらきによって往生成仏し、また他の凡夫もそのはたらきによって救われていく”という仕組みを解説したもの」

という教えになります。


 

 ・「浄土論」の構成


浄土論は、大きく分けると、第一部の「詩」の部分と、第二部の「詩の解説」の部分というふうに、二つに分けることができます。


 まず、前半の「詩」の部分ですが、天親菩薩が阿弥陀さまのはたらきである「一心」によって、浄土に往生するという意思表明の内容を詩にまとめたもので、「願生偈(がんしょうげ)」と呼ばれています。

この詩は、24行あるのですが、その最初の1行に、詩の全体の意味が集約されています。


 「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。」

 (お釈迦さま、私は一心に、何ものにも妨げられない光の仏である阿弥陀如来さまのはたらきを受け取らせていただき、極楽浄土に生まれることを願います。)


こう言って、その詩は始まり、ついでお浄土、つまり仏国土の様子や、具体的にどんな功徳があるのか、そして、すべての迷える生きとし生けるものとともに、そのお浄土に生まれたいと締めくくられています。



そして、後半の「詩の解説」部分になると、まず初めに、


 「論じていはく、この願偈はなんの義を明かす。かの安楽世界を観じて阿弥陀仏を見たてまつることを示現す。かの国に生ぜんと願ずるがゆゑなり。」(『浄土論』 註釈版七祖編p6)

 《現代語訳》(この願いの詩が何を表しているかというと、お浄土の姿や阿弥陀さまを見させていただき、お浄土へ生まれたいという願いが表されています。)


と、天親菩薩自身が阿弥陀さまのお浄土へ生まれたいという意思表示が見られます。すなわち、この前半の詩は、「お浄土に生まれることを願う」という天親菩薩自身の決意を示していることになります。だから、題名にも「願生偈」という言葉が入っているのです。


 

 ・「五念門行」とは何か


 第2部の「詩の解説部分」である「長行」の初めには、先ほどいったように「この詩は、一切の迷えるものと共に、お浄土に生まれることを願っているという内容ですよ。」という解説が入ります。

続けて、「どのようにしてお浄土を観て、どのように信心を生ずるのか」という問いが出されます。

そこで、阿弥陀さまのお浄土に生まれるための修行である「五念門行(ごねんもんぎょう)」が説かれます。つまり、阿弥陀様のお浄土に生まれるための方法が説かれます。


「五念門行」というのは、阿弥陀さまのお浄土に生まれるための五つの修行です。

【五念門】

 ① 礼拝門(らいはいもん)…身業(仏を礼拝すること)…自利

 ② 讃嘆門(さんだんもん)…口業(口に仏の名前を称え、褒め称えること)…自利

 ③ 作願門(さがんもん)……意業(精神を統一すること)…自利

 ④ 観察門(かんざつもん)…智業(智慧をもって阿弥陀さまのお浄土を観ること)…自利

 ⑤ 廻向門(えこうもん)……方便智業(①〜④の行で得た功徳を、他の迷えるものに振り向けること)…利他


お浄土へ生まれるための修行であるこれら五つをまとめて「五念門」と言います。

①〜④までの修行は、自らの修行で自身が利益を得る修行である「自利」の行で、最後の⑤、廻向門が他者に功徳や利益を差し向ける「利他」の行とされます。

なおこの五念門の修行は「作願」(止)と、「観察」(観)を中心としたとてつもなく難しい”高度な菩薩の行”とされています。これを「止観行(しかんぎょう)」といいます。

この「止観行」というのはどんなものかというと、天台宗などで用いられる言葉で、「瞑想」の修行法とされています。心の動揺をとどめて、そのとどめた心が智慧となってはたらき、物事の真理を見ることと言われています。

では、その「止観行」で、何を見るのかというと、仏様の国の様子、仏様の様子、(お浄土の)菩薩の様子など、すなわちお浄土の世界の様々なうるわしい姿である「三厳二十九種(さんごんにじゅうくしゅ)」を観るとされます。

先の「どのようにしてお浄土を観て、どのように信心を生ずるのか」

という問いの中の「どのようにしてお浄土を観るか」という問いに対しては、この「止観行」をもって、お浄土の姿である「三厳二十九種」を観るという答えになります。



では、「どうやって信心を生ずるのか」という問いに対する答えはなんなのでしょうか。

この「信心」に対する答えは、⑤の廻向門の「大悲心」であると言えます。


「いかんが廻向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し、廻向を首となす。”大悲心”を成就することを得んとするがゆゑなり。」(註釈版聖典七祖編 33p)


「大悲心」とは、すべての迷い苦しむものを救いたいという心です。

また「廻向を首(はじめ)とす」ということは、「五念門行」のはじめ、すなわち、①「礼拝門」から、すべての迷えるものと共に浄土に往生しようという「大悲心」であると言えます。




 ・五念門のはたらき


また、この「五念門行」には、その修行のはたらきをあらわした「五果門(ごかもん)」というものがあります。

「五念門行」でお浄土に往生するとこの「五果門」をえて、仏のさとりを得るとされています。


【五果門】

 ① 礼拝門……近門(ごんもん)…浄土に往生し、さとりに近づく。

 ② 讃嘆門……大会衆門(だいえしゅもん)…浄土に入り、そこに住む如来さまの仲間入りをする。

 ③ 作願門……宅門(たくもん)…如来の仲間入りをするということは、家に帰って安らぐようなものと例えて”宅”という。

 ④ 観察門……屋門(おくもん)…家に入ると、そこでご馳走を食べるように、浄土のうるわしさを味わう。

 ⑤ 廻向門……薗林遊戯地門(おんりんゆげじもん)…浄土においてさとりを得ると、林の園で楽しく遊ぶように、迷いの世界に戻ってきて、迷い苦しむものたちを教化していく。


これらのはたらきは、先に述べた「五念門行」とひとつひとつがリンクしているのではなく、「五念」のはたらきを表すと、これら「五果」のようにあらわせる、ということです。



 ・まとめると


 「浄土論」のはじめに、

「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。」

 (お釈迦さま、私は一心に、何ものにも妨げられない光の仏である阿弥陀如来さまのはたらきを受け取らせていただき、極楽浄土に生まれることを願います。)


という詩が出てくると最初に言いました。

実は、ここに出てくる「一心」という言葉がとても重要なのです。

「一心」とは「二心なく」という意味があります。

また、先ほどまで説明した「五念門行」の修行、そして、そのはたらきである「五果門」ですが、実はこの「一心」の内容を示したものなのです。


つまり、

   天親菩薩の一心=「五念門」=「五果門」=法蔵菩薩・阿弥陀如来さまのはたらき=他力の信心

ということとなります。



すなわち、この「浄土論」という書物は、一心という他力の信心(阿弥陀さまのはたらき)によって、お浄土に往生、そして仏のさとりを得る、ということを明らかにしたものなのです。

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