本願の「三心」と、天親菩薩の「一心」


 浄土真宗の救いとは、短く示せば、「阿弥陀さまの救いのはたらきによって迷えるものはお浄土に生まれさせていただく身に仕上げていただき、そしてお浄土にて仏のさとりをひらくこと」ですが、この「救いのはたらき」とは、具体的には何なのでしょうか。


 よく言われるのは「阿弥陀さまのご本願」です。

阿弥陀さまのご本願とは全部で48願あるのですが、その中の「第十八願」、つまり18番目の願いのはたらきが、ここでいう「救いのはたらき」となります。



【第十八願】……たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。 (『大経』巻上 註釈版 p18



この十八願の力によって、迷い苦しむ衆生は、阿弥陀さまのお浄土へ生まれることができるのですが、この中の「至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて」の部分が、お浄土に往生するための「因(いん)」となっています。

これを「至心・信楽・欲生(ししんしんぎょうよくしょう)」といって、この三つの心をまとめて「三心(さんしん)」といいます。


つまり、「三心」=「往生するための因」ということになります。



しかし、天親菩薩はこれを「三心」とは言わず、「一心(いっしん)」とあらわされました。


 「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。」 (『浄土論』総説分 註釈版七祖 p29)

 (お釈迦さま、私は一心に、何ものにも妨げられない光の仏である阿弥陀如来さまのはたらきを受け取らせていただき、極楽浄土に生まれることを願います。)


これはなぜでしょう?

本願の「三心」と、天親菩薩のいう「一心」は同じものなのでしょうか。それとも違うものなのでしょうか。



このことについて、親鸞聖人はご自身の著書「教行信証」の中で二回にわたり問いを設けています。これを「三一問答(さんいちもんどう)」と言います。  (『教行信証』信巻 註釈版 p229・p231)



 ・一度目の問答

 問い:「第十八願には、お浄土に生まれ、仏のさとりを得る”因”(正しきタネ)として、至心・信楽・欲生の三心が誓われているのに、天親菩薩は『浄土論』でなぜ一心という表現をされたのか?」

 答え:「阿弥陀さまのご本願には三心の誓いが起こされているが、お浄土に生まれ、さとりをひらく真実の因は、阿弥陀さまから疑いなくいただく信心一つです。愚かで、気づくのも鈍い私たちが簡単に理解できるように、天親菩薩は一心と表現されたのです。」

…これはつまり、「三心」とは、イコール、疑いのない心である「信楽」そのものであるということを示しています。

これを三心即一といいます。



 ・二度目の問答

 問い:「三心がそのまま一心であることは解った。しかし、それならなぜ、愚かな私たち衆生を救うために起こされた願いである第十八願に、阿弥陀さまは”一心”と誓われずに、”三心”と誓われたのか?」

 答え:「三心、つまり至心・信楽・欲生は、愚かな私たち衆生にはもともと無いものです。その本来なかったものを、阿弥陀如来さまが準備され、完成されて、私たちに与えてくださったものです。

 そして与えてくださったものが最終的には私たちの”疑いの無い心”、つまり信楽として恵まれるのです。疑いの無い信楽一心、すなわち、”信心”だけで往生・成仏は定まります。 

 信心=一心の中に、阿弥陀さまが完成された至心の徳も、信楽の徳も、欲生の徳も、すべてを含んだ広大なはたらきであることをあらわしているのです。」



 ・まとめ


親鸞聖人は、天親菩薩の言われた「南無阿弥陀佛を信じる一心」の中に、「至心・信楽・欲生」の三心が含まれている、と解釈されています。

つまり、「一心」の中に「三心」が含まれていて、それを疑いなく受け取り、おまかせすることでお浄土に生まれることができます。


 愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を起こしたまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。(『教行信証』信巻 三一問答 註釈版 p229)


「涅槃の真因」とは、「お浄土に生まれ、仏のさとりを得る”因”(正しきタネ)」ということです。


すなわち、「三心」は「一心」と同意義であって、阿弥陀さまからたまわる「信心」のことです。



最後に「正信偈」の天親菩薩を讃えた一節を見てみましょう。


・広由本願力廻向 為度群生彰一心

「広く本願力の廻向によりて、群生を度せんがために一心を彰す」

(意味)

天親菩薩は自身が救われていくことはもちろんのこと、さまざまな生きとし生けるもの達も一緒に救い、皆ともに浄土へ往生したいと願われました。そこで、自身の著書である「浄土論」において、阿弥陀さまからのはたらき、すなわち「あなたを必ず救う」という声を、素直に受け取らせていただくことの大事さを解説されました。

これは、私たちのこころで願う「救われたい」という”はからい”の思いではなく、あくまでも阿弥陀如来さまの「あなたを救う」という誓いであるからこそ、天親菩薩のような”菩薩”も、罪を犯してしまうような”私”であっても、みんな共に、お浄土に生まれさせていただくことができるのです。


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