天親菩薩


 ・実の兄との議論の末、大乗仏教に転向した天親菩薩


 天親菩薩の生まれた年代については様々な説がありますが、一般的には、西暦400年頃(あるいは320年頃)に生まれたとされています。お釈迦様が入滅されて900年、龍樹菩薩が活躍した時代から200年遅れで生まれたことになります。

天親菩薩は、ガンダーラ地方のプルシャプラ(現在のペルシャワール)という地域に、バラモン家の次男として誕生しました。名前はバソバンズ。

 この頃の仏教界は、部派仏教と大乗仏教のどちらも活発な時代で、仏教界が目まぐるしく動いている時代です。(部派仏教と大乗仏教のことについては「初期仏教から大乗仏教へ」をご覧ください。)

「婆薮槃豆法師伝(ばそばんずほっしでん)」という書物によれば、彼は当初、「説一切有部(せついっさいうぶ)」という部派にて出家をしました。

彼はその後、グプタ王朝の首都アヨーディヤという町でブッダミトラという師匠について修行します。バソバンズ青年はとても優秀だったようで、当時、学問でも修行でも、他の追随を許しませんでした。部派仏教思想の集大成と言われる代表作「倶舎論(くしゃろん)」三十巻という説一切有部の論書を発表したり、他にもたくさんの書物を作成して、当時の部派仏教の対抗勢力である大乗仏教を盛んに批判していました。

一方、バソバンズの実の兄であるムジャクはその頃、大乗仏教に転向していました。自信満々な弟バソバンズは、兄を論破してやろうと議論をもちかけます。しかしその議論はなかなか決着がつかず、最終的には兄に説得され、弟のバソバンズも大乗仏教に転向するのです。


ある時、兄ムジャクは、「大病を患った」という理由で、弟を呼び出します。

駆けつけた弟に対して兄は言います。


 「弟よ、私はお前が大乗仏教を激しく批判してまわっていることに対し心を痛めている。大乗仏教を信じないどころか、激しく批判をするお前のために重病におかされ、寿命を全うすることもできない。」


このように言われた弟バソバンズは、兄にここまで言わせてしまったことに深く心を動かされ、この時初めて、兄の説く大乗仏教に耳を傾けました。

そして大乗仏教の真髄を理解し、大乗仏教へ転向するのです。

今まで大乗仏教を激しく批判していた自分を恥じ、後悔したバソバンズ(天親菩薩)は、舌を噛み切って自殺しようとしますが、


 「舌を噛み切ったところで罪は償えるものではない。もしその罪を償う気でいるのならば、大乗仏教を学び、そして多くの人に教えを説きなさい。」


と、兄に諭されました。

その後、天親菩薩は数々の大乗仏教の論書を作成し、布教につとめられたのです。


よく天親菩薩を「千部の論主」ということがありますが、小乗仏教と大乗仏教についての著作が500づつあるといわれているためです。

80歳で生涯を終えるまで、兄とともに大乗仏教を弘めることにつとめたとされています。

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