善導大師の発揮「古今楷定」について 


 浄土真宗の伝統を構築した七高僧の方々は、それぞれに阿弥陀様のお浄土に生まれたいと願い、浄土教の仏道を追求した方々です。また、一人ひとりに、独自の解釈があり、その解釈を「発揮(はっき)」と呼びます。


善導大師の発揮は「古今楷定(ここんかいじょう)」と言います。

これは、「昔から今に至るまでになされていた『観経』の誤った解釈を正し、本当の真意を定める」という意味です。


「観経」の誤った解釈を正し、真意を明かすために善導大師が作成されたのが、『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物です。『四帖疏(しじょうしょ)』とも呼ばれています。




 ・善導大師の『観経疏』と、それ以前に『観経』を解釈した学者たち



『観経』は、善導大師が現れる以前から、解釈はなされており、代表的な解釈をした3名の学者たちがいました。


 ・ 涅槃宗の浄影寺 慧遠(じょうようじ えおん)…(523〜592)

 ・ 天台宗の智顗(ちぎ)       …………(538〜597)

 ・ 三論宗の嘉祥寺 吉蔵(かじょうじ きちぞう)…(549〜623)


また善導大師が生きた時代(613〜681)は、この3名の学者の教えを受けたものや、その弟子たちの観経解釈が主流でした。


しかし善導大師は、この3名の代表的な学者たち、その弟子たちの『観経』の解釈は、間違っていると主張したのです。



 ・間違った3つの『観経』の解釈


『観経』は、「迷える凡夫が、阿弥陀さまのはたらきである”お念仏”によってお浄土に生まれる」ということを説いた代表的なお経ですが、善導大師の生きた時代は、これとは違う解釈をされていました。


  ① 韋提権実論(いだいごんじつろん)

 この世において自力でさとりを開こうとする”聖道門”の方々は、『観経』に登場する韋提希(いだいけ)は、一生造悪の凡夫と説かれていても、それは自力の聖者が凡夫の演出をしていたに過ぎない、という解釈をされていた。


  ② 報土化土論(ほうどけどろん)

 『観経』の下下品釈に説かれている、「凡夫が10回のお念仏でお浄土に往生できた」というその”お浄土”は、程度の低い浄土であるという解釈。 


  ③ 別時意趣(べつじいしゅ)

 『観経』の下下品釈に、「凡夫がお念仏を称えるだけでお浄土に生まれる」と説くのは、怠け者を励ますためのお釈迦さまの方便で、実際には遠い遠い将来に往生できる因縁が結ばれただけであるという解釈。




 ・善導大師の『観経』の解釈


 以上3つの解釈が、善導大師の生きた時代に主流だった『観経』の解釈です。しかし善導大師はこれに異を唱え、大きく3つの異論を主張されます。


  ① 九品唯凡(くぼんゆいぼん)

 『観経』に説かれている救いの対象は、”凡夫”である。お浄土に生まれることを願うものの性質に、上品〜下品という差があったとしても、それらはみな凡夫であり、阿弥陀さまの慈悲は、どんな人間も平等に救いの対象とする。


  ② 是報非化(ぜほうひけ)

 『観経』に説かれているお浄土は、程度の低い浄土などではなく、”真実の報土”、つまり本当のお浄土である。


  ③ 別時意会通(べつじいえつう)

  『観経』が説かれた目的は、怠け者を励ます方便などではなく、「一生造悪の下下品の凡夫も、10回のお念仏でお浄土に往生できる。」ということを説くためである。



 このように善導大師は、『観経』というお経は、迷える愚かな凡夫が、阿弥陀さまのはたらきによって、お浄土に生まれることができるという主張をされたのです。これを「凡夫入報(ぼんぶにっぽう)」と言います。

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