源信和尚


 ・母に目を覚まされた源信和尚


 源信和尚が生まれたのは、天慶五年(942年)、大和国(現在の奈良県)葛城郡当麻(たいま)という場所で、父、占部正親(うらべまさちか)、母、清原氏の間に誕生されました。源信和尚は他に4人あるいは3人の姉妹に囲まれて育ちます。父親は厳格な性格で、母親は仏教に熱心で、のちに出家してお念仏に励んだと伝えられています。

源信和尚は7歳のときに父と死別しますが、その父の遺言で、僧侶への道を歩み始められたとされています。9歳で比叡山に登ります。

和尚の出家にまつわる「川の清濁」の有名なエピソードがあります。

 あるとき、比叡山で修行していた僧侶が頭陀行(ずだぎょう)にやってきます。( ※頭陀行とは、衣食住の一切の欲を”捨て去る”実践修行で、いく先々で乞食や野宿をすること) 僧侶が川で口をすすぎ、手を洗うのを見た和尚は、反対側に流れている川の方が水がきれいだったので、

「この汚れた川じゃなくて、あちらのきれいな川の水で洗ったらいかがですか?」

と勧めます。しかしその僧侶は、

水性もとより浄し、なんぞ清濁をいはんや(”水”というものはもともと綺麗なものだ。綺麗だ汚いだというものではない。)

と和尚の勧めを断ります。それに対し和尚は、

ではなぜ口をすすぎ、手を洗うのか

と反論したそうです。ここに和尚の聡明性を見出したその僧侶は、和尚の母に出家を強く勧めたと言われます。

 まず和尚は、慈恵大師良源(りょうげん)の下で学び、14歳で得度・出家され、僧侶としてのキャリアをスタートされます。和尚は”仏道の英雄”とも称えられ、15歳のときには「称賛浄土教」の講義をし、村上天皇から法華八講の講師のひとりに選ばれ、天皇から褒美の品を賜ります。和尚はそのことを誇らしく思い、その褒美の品(織り物など)を故郷の母に送ります。しかし母からの返事は、和尚の予想を裏切るものでした。

のちの世を 渡す橋とぞ思ひしに 世を渡る 僧となるぞかなしき 誠の求道者となりたまへ」(世のためになる立派な僧侶になってくれと頼んだハズなのに、世渡り上手の坊主になるとは、母は悲しいです。本物の精進をしてください。)

和尚のお母さんは、上記の歌を返事として送り返し、褒美の品も受けませんでした。

 母親としては、息子が僧侶として世間的に認められたことは、当然、泣くほど嬉しかったハズです。しかしそれよりも、息子が、世間的な名誉や、社会的な地位という欲望に溺れてしまうことを考え、これを強く戒めたのです。

 

 このことがきっかけとなったのか、和尚はその後、いかなる階位も固くなに辞退し、ただただ仏道に精進されます。天台宗に所属していたのにも関わらず、お念仏を絶えず称え、著作の作成に励まれました。

阿弥陀仏の手から引いた五色の糸を自身の手に結びつけ、龍樹菩薩の「十二礼」等を唱えながら、76歳で静かに往生されました。


スポンサード リンク