道綽禅師と末法思想


 道綽禅師は七高僧の中では4人目に数えられる方ですが、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師のお三方には見られない思想を持たれた方で、それが「末法思想(まっぽうしそう)」というものです。


仏教というのは、この私たちの世界においてお釈迦様をはじめとしてスタートしています。

お釈迦さまが亡くなる、つまり入滅されると、”お釈迦さまのいない時代”が始まります。

例えば、なんでもそうですが、物事を教わるのに、本を読んで理解するだけでは上達しません。やはり、その道に熟達している人に直接会って指導してもらう方が、明らかに上達しますし、本物を見ることで、自己流の間違いを改めることができます。

仏教も同様に、「お釈迦さま」という「実際にこの世界で仏のさとりをひらいた存在」が目の前にいるのといないのでは、全く状況が変わってきます。

仏教の目的は「仏のさとりを得ること」です。お釈迦さまがこの世界に生きておられた当時は、お釈迦さまがお弟子一人ひとりに合わせた修行法を直接指導していたので、仏法の真理を知ることのできたお弟子はたくさんいたのでしょう。

しかし、お釈迦さまがこの世を去ってから時間が経てば経つほど、その影響力は薄れていき、さとりへの道を歩むこと自体が困難になってきます。これは同時に、仏法自体が衰退していくことでもあります。

お釈迦さまの影響力が時間の経過と共にどれくらい薄れていくかを人は知りたがりました。そこで、次のような思想が現れます。


『三時説』

 【正法(しょうぼう)】……お釈迦さまがこの世を去ってから500年の間。「教・行・証」つまり、教えがあり、修行する人があり、さとり(証)を開くことができる時代。

 【像法(ぞうほう)】………正法の時代の後の1000年間。「教・行」つまり、教えがあり、修行する人はあっても、さとることはできない時代。

 【末法(まっぽう)】………像法の時代の後の10000年間。お釈迦さまが去ってから1500年経過。「教」のみ。つまり、教えだけが残っている時代。


「正法」・「像法」・「末法」という三つの時代感覚が存在していて、これを「三時説」と言います。


道綽禅師はご自身の著者『安楽集』の中で


 「いまの時の衆生を計るに、仏世を去りたまひて後の第四の五百年に当たれり。」(『安楽集』巻上 註釈版七祖 p184)


と言われていることから、道綽禅師が生きられた時代は、お釈迦さまがこの世を去り、すでに1500年が経過し、まだ2000年までは至ってない時代であるということがわかります。

つまり「末法」の時代を生きている、という強い自覚があったのです。


道綽禅師が生きた時代はまさにこの「末法」の時代に突入した時代であり、仏教界全体に、「正しい仏法がなくなるのでは…」という、消極的な空気感のある時代でした。さらに、当時の中国は激しい戦乱の世であり、その影響から、仏教の大規模な廃止政策もありました。さらに旱害(かんがい)や洪水などの異常気象も多発する激動の時代に、道綽禅師は生きられたのです。ますます「末法」=「五濁悪世」という汚れた世の中であるという思想が加速していきます。

このような時代背景を抜きにしては、道綽禅師の思想は考えられないほど、道綽禅師の著作には、当時の影響が色濃く表れています。


ではこの「末法」の時代、どうやって仏道を歩めばいいのかということになります。道綽禅師は、


 「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路(みち)なり。まさしくこれ懺悔し福を修し、仏の名号を称すべき時なり。もし一念阿弥陀仏を称すれば、すなはちよく八十億劫の罪を除却す。」(『安楽集』巻上 註釈版七祖 p241)


と言われ、このような時代には、この世でさとりを開くことは極めて困難で、はっきり言って不可能であるとし、このような時代であるからこそ、阿弥陀さまの救いのはたらきである「お念仏」におまかせして、お浄土に往生し、そこでさとりを開かせていただくという道しかないのだと主張されました。

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