「他力易行道」と曇鸞大師の人格


 「他力」とは阿弥陀如来さまの「どんなものでも必ず救う」という”救いのはたらき”を言います。つまり「南無阿弥陀佛」のお念仏です。

 「易行道(いぎょうどう)」とは「易しい行によってさとりを目指す道」という意味で、これは龍樹菩薩の「易行品(いぎょうぼん)」で出てきた言葉です。


『十住毘婆沙論 易行品』〜

 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行(しんほうべんいぎょう)をもって疾く阿惟越致に至るものあり。(『十住毘婆沙論』 易行品 註釈版七祖編5p)

《現代語訳》…(仏法には数え切れないほどの ”仏のさとりに至る道” が存在します。 陸を自分の足で果てしなく歩くことは苦しいことですが、海や川を渡るのに、船に乗って移動することは楽しいことでしょう。 菩薩の修行もこれと同じです。 修行を勤め、果てしなく精進する道もあれば、”信心” を乗り物として、「歓喜地」に到達する道もあるのです。)


 このように、龍樹菩薩は、菩薩の修行の最初の目標である「歓喜地」( ※ 歓喜地については、下に説明があります。)に到達する方法には、難しく厳しい修行(普通の人ができない行)以外にも、「信心」を道筋とする「信方便易行(しんほうべんいぎょう)」という方法があることを明かされるのです。

つまり、歓喜地(不退の位)に到達する方法に、難しい道(難)とやさしい道(易)があるとし、これを「難易二道判」と言います。


すなわち他力易行道というのは、

『南無阿弥陀佛』のお念仏のはたらきで、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき、そのお浄土において仏にさせていただく道

ということです。




 ・曇鸞大師の人格


曇鸞大師は中国におられた高僧で、その当時(476年ごろ)、ご自身も阿弥陀さまのお浄土に生まれることを強く願い、そして他のものにも、教えを広く説いておられました。

その徳の高さから、民衆はもちろん、貴族や皇帝までも、曇鸞大師を深く尊敬され、いわゆる「神格化」されていたそうです。


ある時、時の君子から、

「曇鸞大師は、なぜ、お浄土に生まれることを願われるのですか?」

と問われたのに対し、

「私はとてもとても智慧が浅く、不退の位(歓喜地)の段階に達していないからです。」

と答えられたのです。


 ※「歓喜地」…

〜 菩薩の修行の52段階中、11段階目を「歓喜地」と言います。先ほど説明した「十住」のうちの最初の段階ということで、「初地(しょじ)」とも言います。

修行中の菩薩は、1段階目からこの11段階まで到達することができると、そこから迷いの世界に戻ることがなくなります。

 また、この段階まで到達すると、仏のさとりをひらくことを約束され、さらに、この11段階目から位が下がることはなくなるのです。この状態になるとその菩薩は歓喜するので、「歓喜地」と呼ばれます。

 この「歓喜地」になると、修行の段階的に、後退することがなくなるので、「不退転地」と言ったり、また、さとりをひらく身に定まるので「必定(ひつじょう)」と言ったりもします。 

ですから、菩薩の修行を進めるものは、まずこの「歓喜地」が、最初の辿り着くべき目標となるわけです。いわば”第一関門”といった感じです。 〜



 当時、学問の面でも、世間からの信頼においても、神格化されるほど極めていたはずの曇鸞大師ですが、このように、徹底的に謙虚な姿勢を貫かれたそうです。

どんなに周りの評価が高かろうとも、

「自分はのような凡夫は、迷いの世界を自力で抜け出すようなことのできない、弱く愚かなものだ」

という姿勢を貫き、自己を徹底的に見つめられ、そして、自分のようなものは、阿弥陀さまのはたらきにおまかせすることでしか、迷いの世界を離れ、さとりをひらく道はないと確信されたのでしょう。


「往生論註」を制作された動機も、天親菩薩の「浄土論」の内容を、誤解なく解説し、阿弥陀さまのその救いの願い、お慈悲の深さ、本願力の確かさを自分自身が聞かせていただき、さらには、他の多くの人に阿弥陀さまのはたらきを知ってもらい、救われていってもらわねばならない、という気持ち以外にないでしょう。



親鸞聖人は『高僧和讃』に


 (二三)世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆゑをとふ

     十方仏国浄土なり 何によりてか西にある


 (二四)鸞師こたへてのたまはく わが身は智慧あさくして

     いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず

                (『高僧和讃』曇鸞讃 註釈版聖典p582)

と、曇鸞大師のこの姿勢を讃じておられます。

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