曇鸞大師


 ・菩提流支三蔵に、”長生き”の意味を問われた曇鸞大師


 曇鸞大師は、中国の南北朝時代の人です。三国志が好きな方はピンと来てると思いますが、魏・呉・蜀の三国鼎立(さんごくていりつ)の戦乱時代が、晋(しん)の統一によって終わりを迎えますが、その晋も、塞外民族の興隆によって政権を江南に移し、中国は南北に分裂します。華北(かほく)は五胡十六国時代を経て北魏(ほくぎ)によって統一されますが、曇鸞大師はその北魏の孝文帝(こうぶんてい)の承明元年(476年)に生まれたそうです。

 曇鸞大師は、まだ幼くして出家し、鳩摩羅什(くまらじゅう)という方が中国に伝訳した龍樹菩薩の著作を読み込み、空観思想を学びます。さらに四論系の学問に秀でた方だったようです。

四論(しろん)とは龍樹菩薩の著作で、「中論」四巻、「十二門論」一巻、「大智度論」百巻と、その弟子である聖提婆(しょうだいば)の「百論」二巻をまとめて、「四論」と呼びます。

 その後曇鸞大師は、「大集経(だいじっきょう)」というお経の註訳事業のさなか、病に倒れてしまいます。

曇鸞大師は思います。


「このままでは「大集経」の註訳を成し遂げる前に、私は病で死んでしまう。しかし、何としてもこの註訳は成し遂げたい!…そうだ、まずはこの寿命を長くし、余命をのばす術を学ぼう!!」


曇鸞大師は長生きの術=仙経(せんぎょう)を求めて、その道の大家である陶弘景(とうこうけい)という方を訪ね、長生きの法が説かれている仙経十巻を授かるのです。

その帰り道、曇鸞大師は長生きの術を手に入れ、これで事業を成し遂げることができると、意気揚々としていました。

しかしこの時、洛陽(らくよう)という町で菩提流支三蔵(ぼだいるしさんぞう)という僧侶と出会います。

曇鸞大師はこの仙経のことを誇らしく菩提流支三蔵に自慢するのですが、三蔵はこう曇鸞大師に言います。


「この世で長生きしてどうなるのですか?あなたが今生きている世界は人間の世界であって、それは迷いの世界でしょう?一時的に人間としての寿命が延びたところで、あなたはまた次の世で迷いの世界に生まれるのです。そこに何の意味がありますか?仏教における本当の長生き、それは無量寿(無限の命)を得る道ですよ。そのことが説かれているこの書を読みなさい。


そう言って、菩提流支三蔵は曇鸞大師に「観無量寿経」を授けます。この言葉で目が覚めた曇鸞大師はその場で仙経を焼き捨てて、浄土の教えに入ったとされています。この時、曇鸞大師は53歳だったそうです。

その後、曇鸞大師は天親菩薩の「浄土論」を解りやすく解釈した「往生論註」二巻や、「大経」によって阿弥陀仏のはたらきを褒め称えた「讃阿弥陀仏偈」一巻、「略論安楽浄土義」などを作成したとされています。

曇鸞大師は当時の中国トップクラスの高僧と称えられます。そうして何度かお寺を移りながらお念仏の素晴らしさを説き、542年、平遥(へいよう)という地域の山寺で、67歳で入滅されました。

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