龍樹菩薩


 ・伝説化された龍樹菩薩の言い伝え


 龍樹菩薩のことを調べようとしても、その生涯を正確に知ることのできる資料はほとんどありません。いくつかのチベット仏教の書物や、「龍樹菩薩伝」と言われる文献が龍樹菩薩について記してありますが、ほとんどが伝説化されており、話が盛られ過ぎていて、正確な情報とは言えません。

しかし、これらの伝記にも共通する部分はあります。龍樹菩薩が南インドの出身であること。ヴィダルバという町のバラモンという階級の家に生まれたこと。名前はナーガールジュナといい、漢訳すると龍樹となります。

バラモンというのは、古代インドの身分制度でいうと最高の位に位置した身分で、祭りや儀式などをとり行う立場でした。龍樹菩薩は少年時代、バラモン教の教学を学び、さらに、ありとあらゆる学問に精通し、天文・地理・医学もきわめ、いわゆる秀才とか天才と周りからいわれる少年だったそうです。

これは、龍樹菩薩の自身の書物の中で、様々な学問を詳しく紹介したり批判したりしているので、間違い無いでしょう。

そして彼が仏教の道に進もうと決意し、出家したきっかけとして、有名な伝説があります。


 〜その頃、あらゆる学問を極め、もう学ぶものがないと感じていた龍樹青年は、同じく優秀な友人たちとこんな会話をします。

「もう俺たちが学ぶべきことは何もなくなってしまった。なぁ、何を学んでもつまらないし、学問を極めた次は、”遊び”を極めないか?」

こうして3人の友人たちと悪巧みを始めた龍樹青年は、まず”隠身の術”という透明人間になる術を習得します。(ここら辺がもう伝説化されています)習得するのにかなりの修行を要する隠身の術ですが、彼らはずば抜けて優秀なのですぐに習得しました。

 彼らは隠身の術を使って夜な夜な王宮に忍び込んでは、王様のお付きの美女たちを犯していくのです。

そして三ヶ月ほど経過すると、お付きの美女たちが妊娠しているのが発覚します。当然、王様も美女たちも身に覚えがないのです。王様は美女たちが王宮の外で他の男と関係があったのではないかと疑いますが、どうもそうではないようだと気づきます。となると、隠身の術を悪用している者がこのような悪事をしていると踏んだ王様は、家来に「王宮の床全体に細かな砂をまけ!」と命令します。いくら透明になって身を隠していても、これでは足跡で見つかります。

その夜、いつものように王宮に忍び込んだ龍樹青年たちは、待ち構えていた兵士たちに足跡が見つかり、次々と殺されてしまします。龍樹青年だけは、王様のすぐ近くに身を潜め、難を逃れるのです。龍樹青年だけ、一命を取り留めるのです。

 そして龍樹青年はこれをきっかけに、「自分の欲望にまかせて快楽を追求すると、それが原因となって苦しみを招いてしまう」ということをさとり、出家を決意したとされています。


 以上が龍樹菩薩の出家の動機とされていますが、物語の作者や訳者が、話を大げさに盛ったり、面白くさせるような描写が加えられてはいますが、

「頭脳明晰で、学問を極め、快楽の絶頂にあっても、それ自体が苦しみの原因となって出家する

という構図だけ見れば、お釈迦さまの出家の動機とも重なります。またそのことは、「仏教」が苦からの解脱をめざすものであるということを示しているとも言えます。


 さて、出家した後の龍樹青年は、やはり優秀な人だったので、瞬く間に小乗(上座部)の教えをマスターし、多くの先輩僧侶や、仏教以外の宗教者と議論しては、ことごとく論破していったとされています。

そのことで得意げになった龍樹青年を哀れみ、大龍菩薩という方が龍樹青年を”竜宮城”に導き(他に雪山に入ったという説もあります)、「まだお前の知らない教えを授けよう」といって、”大乗仏典”を龍樹青年に授けたと言われています。

 そうして小乗・大乗の仏教を全て学び、仏教を極めた彼は、シュリーパルヴァタという山に住み、シャータヴァーハナ王国の王様と関わり、その後も仏教の教化や議論を繰り返したとされます。正確な年数はわかりませんが、紀元150〜250年頃活躍したとされます。また、当時の寿命からは考えられないことですが、100歳を超えてもまだまだ元気に生きていたという言い伝えもあり、謎多き人物です。後々、「第二の釈尊」や「八宗の祖」とも呼ばれます。

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